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が地域から頼られる施設となっていく一方、青年の家の機能を広域化・分散化することも同時に可能になっていく。いわば青年の家の“支店”が地域に広がっていくことになる。その中には、青年の家にやって来るボランティアがそれぞれの生活場所で、いわば青年の家の“連絡員”となるようなことも含まれる。そして、青年の家以外でもそこに行けば申し込みができる。応援してくれる…そんな「支店」ができてくることが理想だと思う。
公民館が地方の社会教育の最も重要な“支店”であるように、青年の家も地域に“支店”を展開することを考えてみるのもいかがなものであろうか。

 

第9条 アクションを起こせ
時代は個性的であることを求めている。これからの青年の家は“何でもできる”という方式で売るよりも、「ウチはこのプログラムならばよそには負けない」「海を生かしたプログラムは当所にお任せ下さい」というような、いわば“オンリーワン”をめざした取り組みが一つの方法として求められるのではないか。むろん、プログラムは多いに越したことはない。しかし、その中での目玉商品を作ることが施設のPRにつながり、利用者を引き付ける魅力となる。いわば、それぞれのセールスポイントに特化しようという試みでもある。
また、プログラムのみならず、1年に一つでも良いから話題作りを考えるというのも一つの方法である。「今年はこんなことで地域の評判になった」「あの青年の家は、あの話題でマスコミに大きく取り上げられた」という形である。これならば、その青年の家がおかれた立地や自然環境にかかわらず、すべての施設が実現可能なものであり、アイデア次第でどのようにも変わることができる。金がある所は金を出せば良い。金がなければ知恵をしぼることである。それもなければ、汗を出すことである。何もしなくては利用者は増えないし、新しい利用者が来ることもない。あれがない、これがないと嘆く前に、できることでアクションを起こすことが、活性化への第一歩となる。

 

第10条 職員の意識改革戦略
最後に、青年の家で働く職員の意識改革をとりあげたい。とにかく、青少年の教育施設である。必然的に若い人たちが多くやって来る場所である。そこで働く職員がつまらなそうにしていては魅力が半減する。だから仕事は楽しくやろう。“労働に勤しむ”という言葉の訳語は、キリスト教文化圏の言語にはないそうである。労働は神の与えた罰だからだということである。我々東アジア文化圏に暮らす者には儒教という共通の文化的土台があるが、先人は労働の中に喜びや楽しみを見いだして自己実現を図ってきた。自分探しをするのは利用者だけではない。そこで働く我々も仕事を通じて自分探しをしているのである。だから、日々の仕事は楽しくあらねばならない。そして、その中で自信をもって仕事をして欲しい。
また、昨日の自分と今日の自分はどう変わったかを常に考えて欲しい。青少年教育施設には日々さまざまな利用者があり、それは千差万別である。そのような日常の中で、何も変わらず、何も学ばないのでは進歩がない。日常に埋没し、事なかれ主義に陥ることこそ、青少年教育施設の職員として最も忌むべきことである。常に自己点検を怠らないことは当然として、さらに、職員相互の意見交換を行う場を定期的に設定す

 

 

 

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